北海道の母になる

ファミリー

この度の大移動の主な目的は、二女の出産のお手伝いでした。
直接手伝うのは妻で、私は補助業務。つまり、昔流行った”アッシー君”・笑。

予定日は今月下旬なので、十分な時間的余裕をみて計画をしました。所謂世間でいうところの”〇高出産”でもありましたので。(したつもりでした・苦笑)

結婚して間もないころに一度授かったのですが流産してしまい、それから何故か子供に恵まれず、内心妻と”おじいちゃん、おばあちゃん”と呼ばれることはないかも知れないとあきらめておりました。

 

大きなお腹を抱えた二女と記念撮影。”元気な子を産んでね”と激励し、今後のことはまた明日打ち合わせしようねと言って別れてきました。

3月6日
娘夫婦を訪問してあらためて祝意を表するとともに今後の予定について確認をしました。
ところが安心してしまったのでしょうか、翌日、出産の兆候が表れ入院、無事女の子を出産しました。幸いなことに母子ともに健康で安心しました。(体重2906グラム。身長47センチのうらやましい黒髪の量でした)
が、ある程度覚悟はしていましたが心を含めた準備不足は否めず少々慌て気味・・・。

3月7日
詳細打ち合わせのため出かけようとしていたその時、出産の兆しが見られたので、夫に付き添われ病院に行くので待機するように本人から連絡が入りました。
診察結果、このまま出産になりそうだとのことで、私たちも急遽病院に出向き準備室で娘夫婦と面会し”肩の力を抜いて頑張れ”とVサインを交わして激励。

長丁場になりそうだと一旦家に戻り待機していたところ、婿殿から女の子を無事出産したと連絡が入り、翌8日面会に行ってきました。私は、生まれて間もない赤ちゃんを見たのはわが子の時を含め初めてでした。

長女は妻の実家の近くの産院で生まれたため。二女は我が家の近くの産院でしたが、仕事の都合で相当時間が経過してから・・・でした。そんな時代だったのですね。

このたび婿殿は出産に立ち会ったのだとか、時代も変わったものです。

 

娘は”親ばか”ぶりを発揮して、”可愛いでしょう”と・・・。
一緒に行った妻と長女も可愛いねと・・・。多分関係者は50点から100点ほどの基礎点を持っている可能性も否定できないため・苦笑。判断は流行りの”第三者委員会”の手に委ねることにしました。

二女はこの時から(私にも身に覚えがありますが)妻から母に変わったんだろうな。と。

そうそう妻と私は”おばあちゃん、おじいちゃん”ではなく、”北海道のお母さんとお父さん”と呼ばせることに決定しました。爆笑。

 

 

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