急遽名古屋に行く

ファミリー

9月16日夜、妻の父が亡くなったと連絡を受け、翌17日に急ぎ名古屋に行ってきました。
近頃、高齢のためか食が細くなり元気をなくしている父に会いたい。と思い、妻と二人飛行機も宿も予約を済ませて18日に訪問する予定にしていた矢先の訃報でした。

私が父と初めて会ったのは、44年前の1月4日のことでした。
新年の互例会で晴れ着姿の彼女(妻)に突然自宅に誘われ、具体的に将来の約束をしていたわけでもありませんでしたので、”お付き合いの挨拶でもしておこうか”との軽い気持ちで伺ったものでした。

可愛がっている一人娘が、”男を連れてくる”ことに耐えられなかったのでしょうか?。”打ちっぱなし”に逃走していました。母が恐縮してお酒の相手をしてくれたことを思い出します。

多分ゴルフボールを私に見立て、心行くまで”ひっぱたき”、少し落ち着いたのでしょう。やがて戻ってきました。それが父との初めての出会いでした。”結婚は急がなくていいよ!”と言っていたっけ。あわてて嫁に行くな、そばにいて欲しいと言うことだったのでしょう。

第一印象は、”気難しい人”でした。当時、とある会社の支店長という肩書も影響を与えたとは思います。縁あって”その娘”と結婚し今日に至っております。

行ったり来たりと交流はありましたが、”気難しい人”との印象は続きました。が、ある日我が家を訪ねてくれた父がポツリと、”僕は嫌いなところには来ないよ”と言った言葉(愛の告白だったのかも)を聞き、その時から、”気難しい人”から”大好きな人”に変わったのを覚えています。

それ以来、何かと気が合い、一緒に旅行に行ったりゴルフに行ったりと交流が続きました。
また、話の端々に言葉には出さなくとも”同じ匂い”をも感じ、私が実の父以上に父と思えた人でもありました。もちろん、娘がかわいいからということが一番の理由であることも理解しています。見えないところで、勉強し努力をして何事にも前向きであり、そして筋を通そうとする人でもあり、私が目標とする人でもありました。

その父が、奇しくも私たちの44回目の結婚記念日に逝ってしまいました。
最後まで「今一度、鹿部に行きたい」と言っていたのが、私にとっての心残りであり勲章でもあります。

見舞いに行くつもりが、残念なことに葬儀に参列することになってしまいましたが、普段顔を合わせる機会の少ない、甥や姪、従妹等々悲しい中にも賑やかに一堂に会したのも故人の人徳かと思えた次第です。

特に、わが娘が”じいちゃんと一緒に飲むんだ”と、”萬壽”を抱えて駆け付け。通夜の行事が一段落したその後に、娘と婿と(つまり、私と妻ですね)3人で故人の棺を囲んで、”4人”で思い出話に花を咲かせたことが忘れられません。

ひとまず落ち着いた22日に空路北海道に戻ってきました。わずか一週間でしたが、北海道は木々が色づき始めていました。

 

 

 

 

余談ではありますが、9月19日葬儀も滞りなく終了し市営地下鉄を降りてホテルに向かうその時に、方向を間違えてしまったのでしょう。
道に迷ってしまい、闇が迫る中、目に入ったコンビニで、”私は今どこにいるのでしょう”などと素っ頓狂な問い掛けに、客でもないのに親切丁寧に説明対応してくれた「セブンイレブン名古屋伏見通錦店」の皆様ありがとうございました。おかげさまで無事チェックインすることができました。
感謝するとともに、あらためて御礼申しあげます。

 

 

—– ある日の想いで —– (2018.10.01追記)

 

2006.07.11
札幌、定山渓温泉での会合が終わり、当地に寄ってくれた(妻の)両親と、この日のために羽田から空路駆けつけた娘たち、久しぶりに揃ったメンバーで、北海道定番のジンギスカンパーティを行いました。
開始早々、雨が降りそうになったため、大急ぎでガレージの屋根の下に場所を移して、火をおこすのもにぎやかに、飲んでしゃべって日頃の無沙汰も一気に解消となりました。
2006.07.12
今日は、”いつものところ”で寿司を食べ、ベイエリアや駅前・西部地区等の函館観光。
八幡坂で函館港をバックに〔ハイ、チーズ〕、両手に孫娘で、おじいちゃんは大喜び・・・。
このあと、湯の川温泉に場所を移して、飲んで笑って健康講座のおまけ付の大宴会となりました。

 

 

コメント

  1. webmaster より:

    ”ある日の想いで”を追記しました。

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