町内会退会顛末記

できごと

本日付北海道新聞朝刊、駒ケ岳噴火に関する学習会の記事を読んで大変驚いた。
町内会(防災対策委員会)主催で開催したものであるが、この時の講師が『ここの土地をただでくれると言っても私なら住みませんね』と発言した。また同行した『住民から、乾いた笑い声が漏れた』との記事である。

『ここの土地』が、どこを指しているのか必ずしも明確ではないが、地域全体と受取られても仕方の無い発言であり、個人的な意見は自由であるが、報道陣が同行している公の場所で公人としての発言である。数百人の居住者がどのように感じるか、また、友人・知人や親類・縁者等、関係者の必要以上な不安を誘うことにもつながる配慮の足りない遺憾な発言であり、客観的事実を伝えればすむことだと思ったのは私だけでしょうか。

そこで、学習会にも同行した主催者に、この件に関して主催者としての意見を聞いたところ『発言は、新聞のとおりであり私も(講師と)同意見だ』とのことで、(記事の通りだとすると、総意を確認もしていないのに)会の総意と捉えられかねず、会として注意を促すべきではなかったのか等の意見具申に対し、他の意見を聴く考えはない。と、その感情的な言動から感じられた。

会の運営については、『個人の思想・信条・価値観を尊重することを理念とする』また、『個人の意見、立場を尊重し・・・』が設立趣旨のはず。
『ただでくれても住みたくない土地』に、決して安くはない金額を投資したのはなぜなのか疑問に思うとともに(少々余計なお世話か?)、私は、その利便性と危険性も十分検討し承知のうえ、自らの責任でここに住んでおり、自らの選択を自ら否定する考えにはないことと、さらに地域を好きになることがコミュニティ作りの原点とも考える。
もちろん、他の個人としての考えを排除するものではないことは言うまでもないが・・・。

昭和15年9月11日内務省訓令17号から、戦中戦後の混乱期を経て現在まで、その取扱いに紆余曲折があったことや、法的根拠を持たない任意団体である現代の町内会は、地域住民の自主的な総意に基づき、地域を快適で住みよくするため結成される任意の組織であり、コミュニティ作りの中心的担い手で、百人いれば百の意見がありそれぞれが尊重されるべきと考える私は、現在までの種々の事象を含め総合的に勘案し、自らの衷心の『信義誠実の原則』に則り、原点を見つめなおすためこれを退会することとした。

(備忘のためこれを収録)

 

 

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